どんな時も働き続ける父親の姿を見ていると、自分は働く事が嫌いな、父親の手伝いをするのが嫌いな卑怯者のような気がしてきた。
子供だから遊びたい!!そんな年頃である。
それでも家族の為に一生懸命働く父親の姿に、いつしか自分は怠け者だと確信し初めて来た。
それがコンプレックスの正体だ。
高校生の時、畑で座り込んでタバコをふかしながら休んでいる人の姿を見て違和感を感じた。
その瞬間、その違和感が何なのか分からなかった。
その場を通り過ぎても何だか釈然としない。
しかししばらくしてその違和感の正体が分かった。
自分の父親が同じような感じで休んでいる姿を見たことが無い。
いや!あるかもしれない!!
しかしそのイメージが連想できない。
その時にも、自分の父親の凄さを感じた。
もう少しで30になる頃だったと思う。
当時弟と他に数人で現場で仕事に明け暮れていた。
一つ下の宮古島出身の職人がずーっと2人手伝いに来ていた。
ある日そのうちの1人が、お昼の休憩時間中に足場に上って現場を確認に行く、私に向かって「社長は働き者だね!」という言葉を発した。
自分自身に対してのイメージとあまりにも真逆な言葉に、自分の中で一瞬時間が止まった。
そして「今、何て言った?」
「いやー社長は働き者だと言ったんですよ!」
「俺が?」
「そうですよ、社長は働き者ですよ」
「社長の動きは早くて自分達にはとてもついていけないと、いつもB君と話していました」
「俺が?・・・」
あまりにもびっくりしている私に向かってA君は不思議そうに「どうしたんですか?」と聞いて来る。
「いやー俺は自分の事をそんな風に思った事はなくて、逆に怠け者かなーと思い、その辺の事は自分の中でもコンプレックスなんだよね」と話すと、逆にA君はびっくりして「いやー社長のように働けないですし、立場が違う人はこんなにも働くのかなーと思っていました」
そして「みんなもそう感じていると思いますよ!」と話してくれた。
そのとき私自身も父親になっていた。
その部分で近づくのは、自分には到底不可能と思っていた父親の背中、とても遠くにあって超えるに超えれない父親の背中が、すぐ近くに感じた。
何だか胸が一杯になった事を覚えている。
自分の中で衝撃的な会話だった。
これからも一生この時のやり取りを忘れる事は無いだろう。
続く・・・
このおんぼろのサバニで家族の未来を築いてきた
頭を垂れてただ感謝!感謝!