宮古島へ行ってきました・・・ Roots

22日は午前中から引越しの準備。
全員である場所の清掃に向かった。
この場所は先代の、松原家の家があったところらしい。
この場所は知っている場所だった。
子供の頃、この場所で建造物で遊んでいて頭にたんこぶを作って、祖父が母親を注意していた事を覚えている。
その後小さな小さな畑になっていた。
この場所はこんなに重要な場所だったのかと、改めて知らされてビックリした。
この場所に昔は家が建っていて、松原家の先代の人達の生活が営まれていたのだ。

宮古島へ行くと必ず行く、赤浜(あかばま)
父親のサバニが今もある。
前日も弟と一緒に、たこ漁に出かけてたこを捕ってきた。
この小さな船で我々兄弟、家族全員を養ってきた。
何度でもカメラを向ける
毎回同じような形の写真しか撮れないが、それでも毎回撮影する。
いつも家族を守る父親の背中を感じる風景


考えて見ればこのモクマオウの木も長い間この場所に立っている
この木の下に、船を陸上に引き上げる機械がセットされている。
幼い頃はこの木の木陰で両親の漁の後片付けを見ていた。
このモクマオウにも感謝である


22日は午前中は松原家を守ってきた神様の引越しからはじまる。
何箇所かでの丁寧な挨拶を経て、神様の新居への引越しが無事完了する。
午後からは何台かのトラックで、大きな荷物を移動する
冷蔵庫や、机、たんす等、計4回に分けて移動した。

たんすを移動した後、真新しい杉の板が見えた。
はっとした!
父親がその真新しい杉の板にすーっと近寄っていき、何か小さな声でしゃべりながら手のひらで撫で回した。
この家を建てたときの父親の心意気を感じて、胸が熱くなった。
ありがとう!! 親父。
その姿を見て、もうこの言葉しか思い浮かばない!!


東京では事務所も含めるともう6回位の引越しを経験した。
実家の引越しって、もちろんそれと同じには考えられないが、もっと重要な事だと考えてはいたが・・・
甘く考えていた!!
実家を引っ越すと言う事は、神様を引っ越すと言う事!
この家に家族が集まる事はもう二度とない
何があっても、もうやり直すことの出来ない時間
想像していたよりも、重い意味を持つ引越しだった。


夜には松原工業のスタッフも含めて、ささやかに引越し祝い
もうすでに新築祝いを盛大に終わらせているので、宮古式とは少し違い本当に温かい良いお祝いだった。


代わる代わる乾杯の挨拶をつなげていく

弟と息子の挨拶の中でルーツという言葉が出てきた。
弟の挨拶の中でたんすの後ろの杉の板の話しが出てきた。
みんな同じ事を感じていたんだと思って、嬉しかった。

太陽の陽が燦々と当たって暖かい日もあったが、凍るような寒さで一歩も前に進めないような日もあった。
そんな時も周りの人達の助けで、どうにかこうにか一歩一歩前へ歩む事が出来てきた。
潮の満ち干きのような・・・ でもそれが長い時間を生きていく人生!!
今日このめでたいお祝いの座から、たくさんの喜び事が広がっていく事を祈っています。

続く・・・

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