宮古島 追憶その一

今は船着き場よりも少し離れた陸の方に、親父のサバニは置いてある
もうこの船で漁に出る事は無理だろうな
大修繕をすれば乗れなくもないが、今後はその予定もない

以前は頑張って東京で稼いで、お店の入り口辺りに飾ってやればいいんじゃないかとか、良く言われたもんだった。
実際に飲食店をやっている宮古島出身の人が、お店の入り口に自分の親父のサバニを飾ったことがあるとか、聞いた事がる
その話を聞いた時、私は絶対にそれはしないと思ったものだ
その時になぜそんな事を思ったのか、その時の感情は詳しく説明しがたい物があった
でも今ならその時、感じた違和感をはっきりと伝える事が出来る

親父はこの小さなサバニで大家族を養って来た
今もまだまだ元気で健在ではあるが、若かりし頃父親の威厳のすべてを象徴するかのような、このサバニ
いつも親父が通っていた赤浜で寿命を迎えさせたい
この事を感じていたのだった
少しお色直しをして、大金をかけて東京に送らせてお店の入り口に、「親父が実際に使っていたサバニです」なんて、絶対にやらない。
このまま赤浜で、朽ちて終わらせてあげたい
少し寂しい気持ちもあるけど、東京に送って展示させるよりはよっぽどその方がいいと思っている。
そしてその内子供や孫達と一緒に、宮古島に行った時に朽ち果てた親父のサバニを見せて、「この船で家族を養ってくれたんだ」と、松原家のルーツを伝えたいと思っている

コメント: “宮古島 追憶その一

  1. 管理人 コメント:

    SECRET: 0
    PASS:
    ゆうこりんさん、いらっしゃい
    親父はいつになっても偉大な親父だよね~
    読んでくれてありがとう

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です