3月11日のあの大震災と大津波の日から約半年経った、9月16日と17日の両日、丁度大きな現場が立て続けに終わったので、今しかないという事で、弟達と計3人でボランティア登録して宮城県岩沼市へ行ってきました。
高速道路は無料になるような証明書が発行されましたので、高速道路は無料です。
そして現在はほとんどの自治体がボランティア活動は登録制になっています。
そしてボランティア保険の加入もしなければなりません。
高速料金以外の出費は全て自己負担です。
それでも、この二日間で大阪から飛行機で来た人や、島根県から飛行機と新幹線を乗り継いできた人とか、近県の人は泊まりこんでいる人とかもいました。
神奈川から来ている人達もたくさんいました。
その分お金を送ればいいじゃないかという意見も出るかもしれません。
被災した人たちのため何か出来る事はないかという事で、ここに集まってきています。
しかし半分は自分の為にここまでやってきた人達なのです。
ボランティアという言葉が薄っぺらに響く、2日間でした。
もっと何か別の言葉があればいいのにと思いました。
普段全く身体を動かさない私は、正直言って心配でした。
体が動かず、スタミナ切れで足手まといにならないかと・・・
予感は的中!! 車で来たために睡眠不足のまま作業に入りました。
初日は畑の泥出しです
リーダーが頻繁に休憩を取って何とか初日の作業は終了。
作業予定を完了しました
依頼主が話してくれました・・・ 「最初の頃は全く見通しが立たなくて、うつ状態になってしまった。でもボランティアの人達がたくさん来てくれて、少しづつ元気を取り戻したんだ。今じゃーもう大丈夫だよ!!」
みんな東北に来て何かやりたいに決まっている!!
「じゃー口だけじゃなくて、何をしてでも行けばいいじゃないか」
そんな馬鹿な事は言うな!!
みんな苦しんでいる人の為に何かやりたいんだ!!
それが普通の人間の感情だ。
僕らはたまたま車でいけるところに住んでいて、たまたま仕事の調整が出来ただけの話だ!!
半年過ぎたけどやっと来れた!!
遠くから来ていた人達は同じような言葉を話していた。
「松原頑張って」宮古島の同級生から受け取った言葉
そしてこのTシャツを着て行きました。
宮古島で買ったTシャツ、宮古島の有名な民謡で「なりやまあやぐ」の歌詞がプリントされている。
でもあくまでも気負わず、粛々と与えられた作業をこなそう!!そういう気持ちで望みました。
初日は大変でした。
熱中症ってこんな感じでなっていくのかな~って感じで段々と頭が痛くなっていきます。
夜はホテルで9時頃からバタンキューで熟睡。
朝方大きな地震が2度あったそうですが、それも気づきませんでした。
でも2日目は松原工業の本領を発揮!!
3人を含む9人で頑張って、予定の約3倍の仕事量をこなしました。
海岸からかなり離れたこの場所でも、1mくらいの波が押し寄せたそうです。
壁の色が違うのがわかりますか?
盆明けぐらいからやっと住めるようになったそうです。
この松の木の高さの波が押し寄せて来たそうです。
例年だとこの時期は黄金色のお米の稲穂が垂れ下がっている風景なんでしょうが、何もありません。
やっと瓦礫の撤去が済んで、ヘドロの土地が見えるだけです。
何もありません・・・
どこまでも広がる田んぼに収穫真近の稲が・・・・・・っと思ってしまいました。
津波によって運ばれたヘドロの上に成長した雑草郡です
分かりますか・・・
海岸線沿いに集められた、津波で壊された被災車です。
ちなみに海岸線へは行く事が出来ませんでした。
被災者のプレハブ小屋です。
あまり人気が感じられず、お年寄りの方達が数名座り込んでタバコをふかしていました。
ただ心の中で手をあわせるのみ・・・
「どうぞ皆さんをお守り下さい」
SECRET: 0
PASS:
久しぶりにブログ拝見しました。
しかし、その行動力には脱帽ですな。
私なぞは、日々 うだうだと過ごすばかりで・・・
己を恥じます。
くれぐれも、体に気おつけて 無理はしないで
頑張って下さい。
SECRET: 0
PASS:
うりずんさん、いらっしゃい。
宮古島ではのんびりと過ごせましたか。
宮古島に帰って2週間くらいのんびりと過ごしたいです。
遠目に見た被災地は、かなり落ち着いていましたが、中に入ってみるとまだまだの状態です。
やっと半年経ちましが、悲しみや苦しみ、不安を押し殺しながら前に進もうとしている姿を感じました。
弟達3人で行って正解でした。
無理したくても出来ないようになってしまいましたが、頑張りますよ!!
又遊びに来て下さい。