悲しみに包まれながらも、納棺の時を迎えます。
AさんはSさんの母親と二人で化粧をしてあげていました。
すると、Sさんの母親が「○○○ちゃん、Sに口紅を塗ってあげて・・・」
涙を必死にこらえながら、お化粧を手伝っていたAさんは涙があふれ出しその申し出を断ります。
「○○○ちゃんに塗ってほしいの!」優しく母親が語りかけます。
涙がこぼれながらもAさんは口紅を手に取ります。
しかし涙が止め処なく溢れ、ぼやけて唇が良く見えません。
何度も何度もやり直しながら、口紅を塗ります。
赤い筆先が震えて上手く出来なかったそうです。
「寒紅を塗りやる筆の震えけり」
Aさんの母親が悲しむ娘へ送った俳句です。
1月に英国へ向かうJALの飛行機の中で「送りびと」という映画をやっていました。
まさにこのシーンがあり、私は英国へ向かう飛行機の中で泣きながらこの映画を見ていました。
そして実はこのシーン、あまりの悲しみの中での出来事の為Aさんははっきりと記憶していないそうです。
悲しみながらも時間は経っていきます。
翌年の若葉の頃、Aさんは家族でドライブに出かけます。
そしてドライブの途中でSさんが入院してた頃、病院へ通い続けた道を偶然通りました。
「あの頃 この道よく通って病院へ行ったな!!」と思ったら、急にSさんの事を思い出して涙が溢れてきました。
Aさんは自分の誕生日に、天国のSさんに手紙を書いたそうです。
「Sちゃん 元気ですか! 元気に楽しくやっていますか・・・ 今頃は楽しく駆け回っているでしょう・・・・・・
初めてあなたに、おめでとうを言ってもらえない誕生日を迎えています・・・」
私はこの話を聞いて凄い衝撃を覚えました。
こんなテレビドラマのような話しが実際にあったのかと・・・
この話を聞いてしばらくして私は「春遠からじ・・・ 21歳」という歌を作りました。
初めて歌って聞かせた時、Aさんは涙が止まりませんでした。
そしてSさんのご両親にもこの歌を聞かせるチャンスがやってきました。
場所は赤坂グラフィティーというLIVE HAUSE
LIVEのタイトルは「沖縄FEST」
大半が宮古島の人達が集まってくれるイベントで、この歌を歌いました
騒々しい宮古島の観客達にもこの歌を歌っている間中、ずーっとハンカチで目頭を押さえて泣いている二人連れに気づいたそうです。
ひょっとしてこの歌の両親じゃないかとみんなが思ったそうです。
私は大きな心配事がありました。
自分の娘を勝手に歌っている奴がいる!歌うのをやめてくれ!この歌の存在を消してくれ!
もしそういう風に思われたらどうしよう!!
LIVEの1部と2部の間の休憩時間中にAさんがSさんのご両親を紹介してくれました。
とてもこの歌を喜んでくれた事にホッとしました。
そして私がトイレに行ってる時に、私の手作りCDを購入してくれたのです。
そのLIVEの後、AさんがSさんのお墓にお参りに行った時私のCDが仏壇に供えられていたそうです。
この話を聞いた後、私は届いたばかりのLIVEのビデオを見ました
「春遠からじ・・・ 21歳」この歌を歌っている自分の姿を画面で見たとき、ご両親はどんな想いでこのシーンを見ていたのかと思うと涙が溢れてきました。
続く・・・