28~30日と宮古島へ帰って来ました
今月は初旬に旧の16日のお墓参りとして帰ったばかりでしたが、今回は妻と弟と3人で帰りました
どんな理由で、いつ帰っても、時間がゆっくりと流れていて優しく迎えてくれる故郷宮古島です
車でドライブしていると、宮古島の至る所で建築現場を見る事が出来ました
宮古島の建築業界が忙しいという事でとてもいい事です
昔は久松地区から小中学校へ続く間と、そして学校からカママ嶺地区へと向かう間は住居はほとんどありませんでしたが、現在ではその3点をつなぐ間が、アパートや住居で繋がろうとしています
市内を走っていると、昔は羨ましいと思っていた市内の住居通りが古くなっていて、そして閑散となっていました
郊外への賑やかさの移転は、昔から比べると信じられないような加速度で進んでいます
テレビでは宮原小学校の廃校を伝えるニュースが流れていました
高校の同級生の中にも宮原小学校の卒業生は数人います
時が流れるという事はこういう事なんだと感じてしまいました
人間もこの世に誕生して、喜びや悲しみを数えきれないくらいに体験して死んでいく
85歳で元気な父親もいれば、38歳で死んでいった妹もいる
大きな時間の流れで考えてみれば、それはとても単純で当たり前の事なんだけど、自分の家族というテーマーでそれを見た時に、諸行無常と答えをまとめるにはあまりにも、残酷な時の流れです
今回義姉の法事で帰って、さらにその思いを強う感じました
法事のその日の宮古島の夕焼けはすごくきれいでした
妹の時、同じように空を見て祈るような気持ちで思った事があります
「本当にニライカナイってあるのかな~ もしあるとすればどうやって行けばいいのかな~」
おそらく雑草のくくりの中に入ってしまう草花達が、今回も畑の土の上に彩りを添えていました