松原工業の銀行との関係・・・①

最初はタイル職人でした
ずーっと弟と二人で現場を納めていました
そして府中市栄町に事務所をオープンしました

ある時期に取引先の関係で、法人化しなければいけなくなって有限会社を作りました
その時に思った事はお金が簡単に借りれるという事でした
当時は100万~200万円のお金は簡単に借りれていました
その事でずいぶんと助かっていました

ある時大手銀行の担当者が、小さなうちの事務所に来て衝撃的な話をしてきました
担当者 「社長、お金を借りてくれませんか・・・」
私 「・・・・・・」
規模もとても小さくて、工事代金の入金位しかなかった弊社にとっては大事件でした
私 「・・・いくら・・・くらい・・・借りれるんですか・・・」
担当者 「そうですね、500万円位借りてもらえないでしょうか」
衝撃的過ぎる、お願いに気絶しそうでした
割と簡単に審査が通って、融資もスムーズに実行されました

それからすぐに別の銀行の担当が事務所に来ました
そして「社長、枠がまだまだありますので、お金を借りてもらえないでしょうか」
私 「・・・わ・く・・・?  何の事でしょう」
担当者「枠がまだ余っていますので、申込みさえすれば融資がおります」
連続での銀行の依頼に、どうなっているんだろうと信じられない気持ちでした
当時は超零細どころの会社ではなかったので、こういう事は話には聞いた事があっても実際に自分の所にこんな話が来るとは信じられませんでした
そして、こんな小さな会社にまで運転資金の融資が行きわたる、国のシステムに感動しました
実際にこの時の融資があったから、イギリスに行ってコッツウォルズストーンやベルギーに行って、レンガを仕入れられるようになりました
そして、レンガや石の切断加工機を購入して、現在の基礎を築きあげたと思います

府中市栄町時代のお店
その頃から10年後の事を考えていました
「東京の松原工業」という単語が普通に使えるような会社にしなければいけないと思い、色んな所でかなりこだわっていました

続く・・・