今年の5月10日も暑くなった
妹が逝った年の5月10日も暑い1日だった
もうあれから4年の月日が流れた
やっと4年が過ぎたんだな~
毎年この時期は西武ドームで開催される「国際バラとガーデニングショウ」に出展の為、大忙しの毎日だ。
あの年は5月10日が母の日だった
家族全員、初めて体験する絶望感に打ちひしがれていた
青い海と青い空に囲まれた僕達が、大都会東京のど真ん中で妹を見送った
今思い出しても、作り物なのか本物なのか、リアルに完全に受け入れられない時間だった
でもあの喪失感と深い悲しみは、本当に妹が旅立って行き、この世ではもう会えない事を物語っていた
それと同時にその瞬間まで、僕達家族はあきらめないでいろんなことをやった
最先端の免疫治療もやったし、誰よりも神様に祈った
同時期亡くなった、忌野 清志郎さんや本NHKアナウンサーの頼近 美津子さんのニュースをテレビで知って、人間の力ではどれだけ頑張ってもどれだけ祈っても、どうしようもない領域があるという事を思い知らされた
妹は最後は中野の病院に移った
そこは家族がいつでも集まって妹と過ごせるようにと言うホスピスだったが、僕達は決してあきらめていなかった
妹の病室は快適な空間だった
そして僕はその病棟の応接室のような待合室に行った
そこで愕然とした!!
何かを暗示するかのように、妹のラッキーカラーである青い色の文字で、ハイビスカスの絵と共に「ありがとう」と書いてある額が飾ってあった
僕は呆然としながら転院初日に、ここが妹の最後の病院になるかも知れないと覚悟した
今でもよく考えてしまう!
妹は幸せな人生を送れたのかな~
兄として妹の為にもっと他に出来る事はなかったのかな~
他の家族も全員同じ想いで日々を過ごしているみたいだ
今年の3月の展示会で斜め前のブースに沖縄からやってきた、恩納村ガラス工芸センターという会社が琉球ガラスを展示していた
同じ宮古島出身だというガラス製作者に、1枚の写真を見せてこの写真と同じ琉球ガラスを作ってくれとお願いした。
1ヶ月以上経って届いた琉球ガラスに、息を呑み込んだ
とても素晴らしい出来栄えで、宙に持ち上げると陽の光を透してとても素晴らしい赤花(ハイビスカス)が浮かび上がった。
私がMemoryという曲を作った時に、わざわざ宮古島で赤花の写真を写してくれた吉田さとみさんの赤花だ
宮古島の至る場所に群生している赤花
僕の人生にささやかでも勇気を後押ししてくれる大切な花になった
家族全員で喜びも悲しみも分かち合いながら一生懸命生きていくよ
凛と咲き誇る宮古島の赤花に負けないようにね!!
だって妹に空の上で会った時に笑われないようにね!!
今日はこの歌を聞いてやって下さい。