2011年3月29日のブログです
色んな事を思い出しながら、このブログを読み返してみました
あの頃は計画停電というのがありましたね
私も大変な時期でありまして、日々生きて前向きに生きて行くのが大変な思いでした
色んな事を思い出します
ニッポン放送携帯ブログ「そらまめの旅」 『再会の祈り』2011年3月19日
東日本大震災による、被災者達は主に東北に住んでいた人達である。
しかしその人達の子や孫達は東京やその他の地域でも暮らしている。
これから紹介する記事は、以前このブログでも紹介した事のあるニッポン放送のパーソナリティー、滝良子(そらまめ)さんの携帯サイトで紹介している、3月19日分の一部です。
ニッポン放送の携帯サイトで、「そらまめの旅」がスタート!毎週、そらまめさんの日記が読めます
詳しくはニッポン放送の携帯サイトをご覧下さい。
今回は本人の許可の元、文章を紹介しています。
「そらまめの旅」3月19日より
計画停電にふりまわされたある日の夕方のこと。
電車が無くならないうちに・・と帰宅を急ぐ人で車内はギューギュー詰め。
皆、無言でイライラしていました。
その時、車内に響く携帯電話の着信音・・皆が一斉に冷たい視線を発信元に向ける・・
そこに若い女性のバツの悪そうな顔がありました。
彼女は携帯に「電車の中だから切・・」急いで言いかけ次に「え~~!?」と大絶叫・・
周りはビックリ。
でも、彼女の次の言葉でもっと驚きました。
「ホントなの?本当にお母さんなの?お母さん生きていたの~?」あとは号泣・・
女性は次の駅で降りましたが、車内の空気が一変していたことは言うまでもありません。
「ホゥ~っ」「フゥ~っ」声にならない声がもれ、隣り合った知らぬ同士が微笑み合う、温かい空気が流れていたのです。
尖った目は潤んだ目に変わっていました。
いまだ行方不明の方が多く、通信の手段もない中で肉親の安否を尋ねている方々の多いこと・・
94歳の母はTVの画面を見てポツリ「戦争の時と同じだね」
周りにいた人達はびっくりしたでしょうね。
そしてそういう瞬間を目撃した人達は幸運でしたね。
なぜならその時優しい気持ちがその人達を覆ったと思うから・・・
被災しなかった多くの人達は、今まさに神様に試されていると思います。
自分の生活も守らなければならない為、全てをささげるわけには行きません。
しかし一つでも、又その内の半分でも、いや又その半分でも、出来る事をみんながやればそれはとても大きな輪になって行きます。
頑張ろう日本!!